佃煮と家康の深い関係

アイキャッチ画像佃煮

佃煮(つくだに)といえば東京都中央区の佃島(つくだじま)が発祥の地とされています。

甘辛い佃煮は、白いご飯が進みますね。

この佃煮家康ととても深い関わりがあり、それが「本能寺の変」までさかのぼるとは、いやはやおどろきです。

佃煮は家康が江戸名物にしたようなもの。その歴史をちょっと紐解いてみましょう。

 

 

佃煮と家康の出会いは「本能寺の変」がもたらした

歴史が動くとはおもしろいものですね。「本能寺の変」と、今、私たちが佃煮をおいしくいただくことには太いつながりがあるようです。

ご存じ、「本能寺の変」は1582(天正10)年に織田信長が明智光秀に襲われて、自刃した歴史上の大きな事変です。

そのとき、家康はわずかな手勢で信長の饗応に応じた後、境港を見物。そこへ信長が光秀に襲われたとの報が入ります。

 

佃村の庄屋に船を用立ててもらって逃げ帰りました

神崎川

新大阪付近の神崎川

朋友だった家康は動揺しつつも領地の岡崎城に帰ることを選び、海路と陸路のうち陸路を選びました。

わずかな手勢と言いつつ、密かに護衛する傭兵のような兵士がいた模様で、それだけの人が乗る船の手配ができず、陸路を、難所と言われる伊賀越えを選んだとか。落ち武者狩りの危険もありますが、それなりの護衛がいることも陸路を選んだ理由のようです。

途中、今の大阪府である摂津の国の神崎川を渡る船を用立てたのが地元 佃村の庄屋である森 孫右衛門です。

孫右衛門は川を渡る多数の船を用立て、さらに小魚などを塩水で煮た保存が利く食べものを提供しました。

(家康のことですから、このときの出会いは偶然ではなく、いざというときに力になってくれる人脈があったのかも知れませんね)

これらの応援があって家康は命からがら領地の駿河国岡崎に帰れたとか。

それ以来佃村の人々にはいろいろな特権を与えて保護すると共に隠密としての働きも期待されていたようです。

 

佃島の築造

その後、江戸に城を構えた家康は1590(天正18)年に森 孫右衛門と佃村の漁師30人あまりを徳川家の御肴役(おさかなやく)として江戸に呼び寄せ、数々の特権を与えて優遇しました。

隅田川の鉄砲洲の東、石川島の南の名もない干潟を与えたのです。場所としては旧築地市場と豊洲市場の間にある島です。

これが佃島の起源です。今はお江戸東京の中央区佃1丁目のあたりだそうです。

呼び寄せた御肴役はもとは大消費地の京、大坂を控える関西の漁師です。すぐれた漁の技術を持っていました。それまでの江戸在来の漁法と違って水揚げ量が増えたと言うことで、徐々に多くなっていく江戸の消費量をまかなうことができました。

まかなうだけでなく無駄にしない方法も知っていて、余剰の小魚を甘辛く煮詰めたのが「佃煮」となりました。

 

 

家康は白魚をお気に召して

家康はここで摂れる白魚(しらうお)をことのほかよろこび、この小さな島は次第に有名になりました。

大きな活きの良い魚は将軍家をはじめ諸大名や武家屋敷に納め、小雑魚は自家用として保存食にしたわけです。

初めは雑魚や貝類を塩で煮付けていましたが、次第に醤油を使い、みりん、ざらめ糖なども加えて、特有の照りを出し「江戸名物・佃煮」として広まっていきました。

 

江戸土産として全国各地へ

竹皮の包み

江戸から国に帰る大名や武士たちが江戸土産とするようになると佃煮は全国各地へ広がっていきました。

それは保存がきくためで重宝な土産物となりました。

材料はアサリ、ハゼ、昆布、海苔、白魚、ワカサギ、アミ、小エビなどなどです。

きっと「地元でも作れる」との思いもあったことでしょう。

 

 

佃煮の特徴

佃煮にはいくつかのすばらしい特徴があります。それが全国に広まり、各地の名物品につながったといえます。

 

特徴その1 保存がきく

佃煮は傷みやすい海産物を保存料を使わず冷蔵もせず長期保存がききます。

それは醤油、砂糖、水飴などで浸透圧を著しく高めて微生物が繁殖するのに必要な水分がないからです。

以前は東京湾でもアサリが捕れました。

生のアサリの水分は90.3%、佃煮になると38.0%まで減りますが、この水分も

  • 醤油に含まれるたんぱく質と結びついて結合水になる
  • 砂糖や水飴の炭水化物と結びついて結合水になる

こうなると微生物が繁殖するために必要な自由水がなく、つけいる余地がない状態になり、保存性が高まるわけです。

 

調味料については以下の記事もご参照ください。

醤油の塩分はどれくらい?

本みりんは酒の仲間です

砂糖の効果を知って賢く利用しましょう

 

特徴その2 少量でおかずになる

佃煮

味が濃いから、少量でご飯のおかずになります。

甘辛い味付けはご飯にぴったりの上に、素材の味が加わって、奥深い味が楽しめます。

お茶漬けにも良く、早飯食いの日本人にもぴったりと受け入れらることになりました。

 

特徴その3 材料は無限

当時、豊かだった江戸前の海ではいろいろな海産物が採れ、採れすぎた材料は何でも無駄なく佃煮にできます。

海産物の他にも茸、牛肉、くじら肉、海苔、山菜、魚卵、また、イナゴや蜂の子まで佃煮にしています。

ハマグリは「しぐれ煮」カツオやマグロは「角煮」また、きゃら蕗など名前も広がりを見せます。

 

特徴その4 全国各地で特産品にできた

全国にはいろいろな特産品があります。

佃煮はそれらの特産品をことごとく名物に加工できてしまいます。

一例として

  • 金沢・・・ゴリとごまの佃煮
  • 東京・・・ハゼ、小エビ、海苔
  • 霞ヶ浦・・・ワカサギ、フナの雀焼き
  • 山形・・・鯉
  • 静岡・・・うなぎ、イルカ
  • 桑名・・・ハマグリ
  • 富山・・・ホタルイカ
  • 神戸・・・牛肉
  • 岡山・・・穴子
  • 広島・・・昆布、海苔、小鯛
  • 信州・・・蜂の子
  • 和歌山・・・ウツボ

など、各地の佃煮があり、特産品として土産物として活躍しています。

 

特徴その5 無機質の宝庫

佃煮は魚貝類や昆虫など丸ごと食べることで

  • カリウム
  • カルシウム
  • マグネシウム
  • リン
  • 鉄分
  • ヨウ素

などが自然に補給できます。生鮮品に比べると調理の過程で栄養成分の損失もありますが、粗食であった日本の食卓にあって、妊婦や小児の大切な食べものであったといえます。

 

 

江戸の風物詩として

 

佃島の夜景

佃島の夜景

家康の好物であった白魚の漁は毎年11月から翌年の3月まで佃島の沖合でかがり火をたいて行われ、江戸の風物詩のひとつになっていったとか。

今では当時の面影を知ることはできませんが、佃煮を売るお店は今もあり歴史と共存してきたことが伺えます。

 

 

【まとめ】佃煮と家康の深い関係は今も続いています

本能寺の変から逃げ延び、領地の岡崎城に帰り着く間に大きな助けになった佃一族を厚遇するために江戸に呼び寄せた徳川家康。

家康の求めに応じて住み慣れた故郷から江戸に移住した佃一族が海産物の面でも江戸の食卓を支えました。

そして余剰の食材を無駄にしない知恵から生まれた「佃煮」

土産物として全国に運ばれていった保存がきく「佃煮」

ちょうど醤油やみりん、砂糖などが手に入りやすくなった時代背景と相まって、数々の特産品を生み出し、現在まで受け継がれています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

〈参考〉

  • 小学館:食材図典Ⅱ
  • 岩波書店:食と日本人の知恵
  • 移動教室出版事業局:東京 路上案内

☆管理栄養士 すずまり が書きました。

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管理栄養士のすずまりです。 食べものの文化的な側面など「おとなの食育」の観点から書いています。