いわしは古くから大衆魚としての位置づけにされていたようで、貴族が食べるものではなかったようでした。
紫式部もいわしを食べて、家に帰ってきた夫にたしなめられた逸話があります。
昔から大衆魚として親しまれてきただけにことわざも多数あります。
庶民に親しまれてきたいわしのことわざのあれこれをみてみましょう。
目次
紫式部も鰯を食べた

平安貴族の紫式部はいわしを食べて、夫の藤原宣孝にたしなめられて歌を詠んだといわれています。そのときの歌が
「日の本に はやらせ給う石清水(いわしみず)まいらぬ人は あらじとぞ思う」
と、石清水といわしをかけて切り返したと伝えられています。
石清水は三大八幡の一つとされる、石清水八幡宮で、「石清水の八幡様にはみんながお参りしています。いわしもみなさん、いただいていますよ」と言いたかったのでしょう。
七輪で焼くと油煙(ゆえん)が漂って、しばらく家に においがこもっていたのでしょうか。
いわしは水揚げされてから時間が経つと、だんだんと特有のにおいが強くなっていきます。
いわしのにおいは旨み成分でもあるトリメチルアミンオキシドが細菌の作用によって変化することで特有の生臭さが生まれます。
いわしのにおいについては以下の記事もご覧ください。
どうしても鯛と比べられる鰯
鰯も七度洗えば鯛の味

「いわしも上手に調理すれば鯛に劣らない料理ができる」という教えですが、なぜ七度なのか なぜ鯛なのか と突っ込みを入れたくなることわざです。
「七度」は比喩でしょうが、どうしてもいわしは鯛と比べられますね。
鯛は上等なものの代表。いわしは劣る・粗末なものの代表として比べられています。いわしの実力はすごいのですが・・・。
うちの鯛より隣の鰯
このことわざは高級な鯛がうちにあるのに、お隣のいわしがよいものの様に思える「隣の芝生は青く見える」と同じ意味です。
また「隣のぼたもち 大きく見える」も同様ですね。どうしても隣が気になってしまいます。
鯛の尾より鰯の頭

このことわざは「鶏口となるも牛後となるなかれ」と同じです。鯛の立場といわしの立場がハッキリ認識されているからこそのことわざです。
鰯で精進落ち
このことばも「いわしが聞いたら、なんと思うか?」と言うようなことわざです。
肉や魚などの動物性たんぱく質を絶って菜食で我慢してきた精進の期間が明けて、さあ、山海の珍味を!というときに、いわしのようにいつでも食べられる大衆魚で精進落としをする「がっかり」を表したものです。
むしろ現在のほうが「いわしの刺身」とか「いわしの寿司」のぜいたくさが実感されるのではないでしょうか。生でいただくには、新しくないとおいしくないですからね。
夏の鰯で足が早い
6月から7月にかけて脂がのった大きないわしは「入梅鰯」と呼ばれて人気のある魚です。
産地の千葉では「なめろう」や刺身、すし種に活躍します。
しかし、蒸し暑くなる時期とも重なり、傷みやすいいわしは早く食べないと味が落ちます。食べものが傷みやすいことを「足が早い」ということから「夏のいわしで足が早い」が生まれました。
この言葉は、使用人や丁稚に何かを頼もうかと思ったときに、それを察して姿を隠すことで、「今そこにいたのに、頼み事をしようと思ったらもういない。夏のいわしで足が早い奴だ」という様に使います。
昔は冷蔵庫がないから、ことさら「足が早かった」のでしょうね。
鰯は海の人参

さんざん鯛と比べられ、くさいといわれるいわしですが、昔の人もいわしが体によいことは知っていました。
「鰯は海の人参」の人参は朝鮮人参のことだそうです。
朝鮮人参は今でも漢方の材料として高価で貴重なものです。強壮、保温などの多くの効用が知られる朝鮮人参に匹敵するのがいわしだというのですから、いわしの良さを褒めたたえたことわざです。
貴重な朝鮮人参と比べられて、いわしもようやく立つ瀬がありました。
それにしてもいわしの効果を認識していた昔の人々に脱帽です。
【まとめ】紫式部も鰯を食べて作った歌が伝わっている
昔から大衆魚として親しまれてきたいわしはことわざにもしばしば登場しています。
その中には高級魚の鯛と比べられるものがいくつもあり、いわしの立場は?というものもありますが、朝鮮人参と対比させるものもあります。
いわしの数々の効果も、「足が早い」のも、いわしの特徴です。
昔の人も知っていたいわしの良さを私たちも享受していきたいですね。
お読みいただきありがとうございました。
〈参考〉
全国学校給食協会:食のことわざ春夏秋冬
☆管理栄養士 すずまり が書きました。
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