私たち日本人の精神性を育んできたお米はどこから来たのでしょうか。
米の歴史を見ることで現在の食生活を振り返るきっかけにしたいと思います。
米の歴史 原種はどこから
野生のイネの原産地は中国の南部からインドにかけての地域だとされています。
栽培が始まったのは約6000年程前とされています。
温暖で湿気の多い土地を好むためユーラシア大陸の乾燥した西へは伝わらず、原産地周辺の狭い地域に限られたようです。
米を主食にしている地域は、日本、朝鮮半島、中国南部、東南アジア諸国、そしてインド南部です。
アジアの国々に集中しています。
イタリアやスペインなどの南ヨーロッパでもお米を作って食べますが、主食としてではなく、料理として食べています。
米は自給穀物として発達した

イネの栽培は限られた国々だけに伝わり、その国で作った米をその国だけで食べるという「自給的」な穀物となりました。
気候風土の違いから、米を主食とする各国それぞれの食文化が作られていきました。
米は栽培面積あたりの収穫量は小麦の1.5倍で、たくさんとれてたんぱく質もそこそことれる重宝な食べものです。
米はある意味、完璧な主食としてアジアの膨大な人口を支えている穀物といえます。
米の食べ方はほとんど共通

ポプラ社:食べものの大常識より
米は実(胚乳)のまわりの皮、「もみがら」がむきやすい穀物です。
時間が掛りますが、たたいたり、つついたりで玄米にすることができます。そこで米は粒のままで食べることが主流になっています。
はじめは焼いて食べていたようですが、やがて、「蒸す」「煮る」から「炊く」という方法で食べるようになりました。古墳から炊飯に使ったと思われる、いろいろな土器が出土しています。美術品としても見応えがあるものもありますね。
米を食べる方法の変遷は各国で共通しているそうです。
ただし、炊き方には多少の違いがあるようです。
米の炊き方のいろいろ
炊き干し法
日本の炊き方です。米を水から煮て、最後に米に水分を吸収させる方法です。日本の他、朝鮮半島、中国で行われています。
湯とり法
大量の水で煮て、沸いたところで湯を捨て、そのまま蒸し上げます。東南アジアやインドで一般的に行われています。
米の粘りが出た湯を捨てるので、パラパラのご飯になります。カレーやスープをかけて食べることが多いです。
湯だて法
他に沸騰した湯に米を入れる方法もあります。
今でも大量調理の現場で炊飯器がないところは、この方法で炊くことが多いです。大釜に計量した水を入れ、沸いたところで米を入れます。しばらくかき混ぜた後ふたをして炊き上げます。
他にも「蒸す・煮る」を何度か繰り返す方法もあるそうです。
米の種類
お米は大きく2種類に分けられます。ジャポニカ米とインディカ米です。他にジャバニカ米があります。
ジャポニカ米
中国が起源ですが、現在では多くの温帯と亜熱帯地域で栽培されている品種です。
ジャポニカ米は粒が短く、アミロース成分が少ないお米です。
インディカ米
粒が長いインディカ米は熱帯と亜熱帯地方の低地で栽培されています。
アミロース成分が多いので調理に時間が長くかかります。
ジャバニカ米
ジャパニカ米の米の亜類型です。主にインドネシアとフィリピンの熱帯地域の高地で大倍されています。
ジャパニカ米のようにアミロース成分が少ない品種です。
寒い地域が米どころなのはなぜ

2018年のお米の生産量は
- 新潟県
- 北海道
- 秋田県
でした。
もともとのイネは熱帯地域に自生していたもので、本来は温かいところを好む作物です。
これを長い時間をかけて寒冷な地方でもたくさん収穫できるようにしてきました。
日本の水田稲作の始まりは縄文時代の、暖かな北九州で始まりました。
弥生時代には稲作が定着し、東北までは早く伝わったそうです。
東北地方は寒冷な気候ですが、昼夜の気温差が大きく稲の成長に適しました。
また、他の作物よりもイネの方が農業経営が安定する点からも栽培に拍車がかかりました。
ですが、北海道の気候や土では長らくイネが育ちませんでした。
北海道に稲作が始まったのは明治時代に入ってだそうです。
水田の水の温度を少しでも高くする工夫をしたり、水を深くして苗を冷気から守ったりの努力と品種の改良が実を結びました。
今では毎年1位2位を争う収穫高を誇っています。
米はたんぱく源になる?
米には思った以上のたんぱく質が含まれています。
- ごはん 2.5g コンビニおにぎり1個分くらい
- アジの開き 20.2g 中1枚
- 牛乳 3.3g コップ半分くらい
- 卵 12.3g 中2個分くらい
昔は力仕事をする場合などに「一升飯(いっしょうめし)を食らう」ということがあったようです。
一升のお米を炊くと約3.3㎏のご飯になります。ご飯のたんぱく質は100gで2.5gですから、炊いたご飯3.3kgになると
2.5g×33=82.5g
男子(15~64歳)のたんぱく質の推奨量は65g (厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2020年版)」策定検討会資料より)とあります。
労働に応じて100g前後必要になりますが、これは令和の時代の体格についてです。昔は体格的に必要量が少なかったかもしれません。
おかずから十分にたんぱく質がとれなかった時代でも、ご飯をたくさん食べれば、たんぱく質はとれることになります。
お米=ご飯をもりもり食べて、大豆や野菜、魚を少し食べていれば体には十分となります。これが日本人の昔の食事でした。
宮沢賢治も「雨ニモマケズ」に中で「・・・・・・一日ニ(に)四合ノ玄米ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ・・・・・・」といっています。
ただし、ご飯はおいしくて塩だけでも、もりもり食べられるところが高血圧での脳卒中を呼ぶことになるのですが、それはまた、別の記事で。
米の消費量も生産量も減り続けている

日本の気候や土は稲作に適しています。おいしいご飯をお腹いっぱい食べることは少し前の日本人のあこがれ、願いでした。
日本人は水田を平地だけでなく山の斜面を棚田にしたり、海を干拓してまで、田んぼを広げてきましたが、米の生産量は十分ではありませんでした。
米不足が解消したのは、栽培技術の向上や品種改良によって単位面積あたりの収穫量が増えたからで、1950年代の半ば過ぎからだそうです。
ところが次第に日本人の食生活が洋風化し、お米以外もたくさん食べるようになってお米が余るようになってきました。
1970(昭和45)年から減反政策が始まりました。それにともなってお米を作る農家も年々減少し、後継者も減ってきました。
日本人の大切な主食であるお米をどのように確保していくか、私たちの課題になっています。
【まとめ】稲作は縄文時代に伝わり弥生時代に定着
水田稲作は縄文時代に伝わりました。はじめは温かい北九州で始められました。
弥生時代には定着し、東北までは早く伝わりましたが、北海道で稲作が定着するのは難しく明治に入ってようやく始められました。
今では東北と北海道が大きな産地になっています。
以前はおかずが十分ではなかったのでご飯をたんぱく源にして重い労働を支えていた時代が続きましたが、食事の内容が変わってきました。
せっかくお米が十分に食べられるようになったのに、食の多様化でお米が余るようになり、減反政策が始まりました。
この先、お米とどのように付き合っていくのか、低くなる食料自給率のことと合わせて考えていかなくてはならない事柄です。
お読みいただきありがとうございました。
〈参考〉
- ポプラ社:食べものの大常識
- 群羊社:たべもの・食育図鑑
- 創元社:ひと目でわかる食べ物のしくみとはたらき図鑑
☆管理栄養士 すずまり が書きました。
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