昨今は芋といえば、「じゃがいも」や「さつまいも」を思い浮かべることが多くなりました。
ですが、日本では昔から「芋」といえば里芋。なんと稲よりも栽培歴が長いんです。
里芋が生活に溶け込んでいることは、十五夜の月を「芋名月」と呼んで、里芋をお供えしたことからも見て取れます。
ことわざの中で里芋は元気です。「芋の煮えたもご存じない」といわれないように、気をつけなくちゃ・・・
目次
① 芋の煮えたもご存じない

「芋の煮えたもご存じない」の意味を長い間、取り違えていました。
私のイメージは、例えばウルトラマンのように時間制限があって、ゆっくり煮含めたい「芋の煮っ転がし」のできあがりを確認できないまま、その場を立ち去ってしまった。転じて物事の行く末を確認できずに次に移るような、そんなイメージを持っていました。
それが大きな間違いだったことに、かなりな大人になってから知りました。無知の極みでお恥ずかしいことですが・・・
今さらですが、「芋の煮えたもご存じない」は、そのものズバリ、芋がどんな状態になれば「煮えた」といえるのか、それがわからない人を皮肉った言葉です。
芋が踊ると煮崩れますから、弱火でコトコト煮ます。そろそろかなと思ったら、竹串とか菜箸を中心に向かって刺して、「すっと通れば煮えている」となる訳です。
でも、竹串を刺して調べることもわからず、食べたら、まだ固かった!
「まったく、しょうがない。芋の煮えたもご存じない世間知らずだね。自分ひとりじゃ、何にもできないんだから」
と、痛烈な批判が集まりそうです。
② 芋幹(いもがら)は食えるが家柄(いえがら)は食えぬ

すみません m(_ _)m。わざわざ括弧して、読み仮名を入れて、うっとうしいですよね。語呂合わせの妙にブレーキをかけてしまいました。
芋がらはこの写真の状態から皮をむいて乾し、保存食にしたものです。干したものは「芋幹」とか「芋茎」とか「いもがら」とか表記されます。
皮をむいて干すのでかなりの量があっても、減ってしまうし、とても手間がかかるものだと聞きました。
ですが、ゆっくりと水で戻して、切りそろえ、油が合うので炒めてから「みそ汁」などに使うと日なたをイメージした味になるように思います。
この芋がら、食品成分表では「ずいき・干しずいき・乾」の名で出ています。食物繊維やカリウムがとても多いですが、干したもの100gを水戻ししたものも、かなり量が多いと思われます。日常的な数字ではないので、細かいことは割愛します。
と言うわけで、芋がらは、食品成分表にも乗っている、れっきとした食品です。いやいや、食べものに事欠く飢饉の年や戦後の混乱期にはありがたい食品だったと思います。
今では給食でも使います。
これに対して「家柄」はいくら立派でも、お腹の足しにはならないですね。本当に由緒あるお家柄の方はそれを誇ったりはしないのでしょうが、ま、無いもののひがみか、お腹の足しにならないものは、はい、要らないですね。
「家柄より芋幹」と言うことわざも同様です。人間、最後の最後は食べものですよ。
③ 芋ばかりは親はいや

親はいくつになってもありがたいものです。それがわかるのはそれなりの人生修行を積まないとなりませんが、親はいつも自分のことは後回しです。
もちろん、これは人間様ばかりでは ありません。
上の写真の里芋、大きな親芋のまわりに子芋が育ってきています。
里芋は親芋のまわりの子芋を食べるのですが、もちろん、まだ、親芋のすがたも見えます。でも、養分を吸いとれられて、味はよくありません。子芋の方がおいしいのです。
そこで、「芋ばかりは親はいや」といわれてしまいます。
ま、親としては子供たちがたくさん育って、本望だろうと思います。
④ 芋を洗うよう

芋洗い機
この「芋洗い機」、この中に里芋を入れて、川の流れでゴロゴロと回し、こすりあわせて芋を洗います。今ではなかなか見ることができなくなったそうです。
「芋を洗うよう」は混雑した海水浴場の形容に使われます。海だけではなく、プールにも使います。
以前、夏になると主だった海水浴場やプールの「今日の人出は○○万人でした」などという情報がニュースになったものですが、最近は少なくなったように思います。
レジャーが多様化したことと、近年の美白のブームを受けて、日に焼けて浅黒くなることが無条件でカッコいいこととも言えなくなって、海に行く人が少なくなったのでしょうか。
もちろん「芋を洗うよう」と形容される海が清潔だとは限りません。清潔度の指標になる、大腸菌も結構あります。
でも、夏の海水浴場の、この「芋を洗うよう」という形容はやはり夏らしくていいですね。元気な感じです。
山もいいですけれど、海もいいです。両方あっての日本ですね。
⑤ 案じるより芋汁

秋の行事のひとつに「芋煮会」があります。
里芋を煮込んだ汁が「芋汁」です。この「いもジル」にかけて「あんジルより芋汁」という言葉が生まれました。
このことわざは、気をもんでもどうにもできない。ならば実質的に一杯の芋汁にありつくように「実-じつ」を取るのがよいだろうということです。
秋の食材と肉がたっぷり入った温かい芋汁をいただけば「気をもんでも仕方が無い。なるようになるだろう」というおおらかな気持ちが生まれてくるように思います。
【まとめ】「芋の煮えたもご存じない」は世間知らずを皮肉った言葉です。
長い間「芋の煮えたもご存じない」の意味を取りちがっていて、恥ずかしいことです。
里芋にまつわることわざ、結構ありましたね。里芋が古くから親しまれてきた証しだと思います。
日本では昔から「芋といえば里芋」で、行事食やお祝いの煮物にも欠かせないものです。
ことわざも結構、辛辣(しんらつ)なものがあります。生活に密着していくうちに「ことわざ」が生まれてきたのですね。
この秋もほっくりとおいしい「芋の煮っ転がし」をいただきましょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
〈参考〉
全国学校給食協会:食のことわざ春夏秋冬
☆管理栄養士 すずまり が書きました。
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