「学校給食 残すべし」ってほんとにそう思いますか?

 

近頃、学校給食について、「残すべし」との意見が出て、議論になっています。

そこでただのお昼ご飯ではない学校給食(以下 給食)の意義と効果を考えてみたいと思います。

 

 

給食は残さない!そのための絶対条件がある

給食と女の子

給食時間は笑顔の時間にしたい

私は給食に限らず目の前に出されたものは「おいしくいただくべき」と思っています。

給食も「食べ始めたもの」は残さずいただくべきだと思います。

ただし、そこには絶対の条件が必要です。

その条件とは、「自分で食べ切る量を決める・決められる」という点です。

具体的には、給食当番によって均等に盛り付けられたものが多いと思ったら調整する時間に戻しにいけるようにします。個数ものやパンなどは半分や1/3にしてもらうこともできます。その操作は担任が行い衛生的に取り扱うよう配慮します。

子供の発達はそれぞれ違います。胃腸の成長、消化吸収の能力もそれぞれ違います。

給食の量はその子にあった必要量と希望で増減すべきだと思います。ここのところを一律にするとトラウマとなる事態が生じる訳です。

一度受け取ったものを本人が返すのですから、平等を基本とする給食費の点でも問題が生じにくいと思います。

 

 

掃除の時間まで食べさせられていた時代も

給食

なぜ食べられるものを「残すべし」という論調が出てくるのか。

それは食べきることを強要された経験が言わせていることだと思います。

私は小学校低学年頃までおなかがすいた記憶がありません。

食欲がわかない子でした。食べても食べなくてもいいけど、呼ばれたから食卓に着く。という毎日でした。

給食も食べられない子でした。

私の時代はパサパサした厚切りのパンが三枚出て、子供の頃、食が細かった私は窮地に立たされました。年寄りっ子でパンと言えばあんパンしか食べたことがなかったので、パサパサした食パンは喉を通りませんでした。

事実、私の小学1年の1学期の通信簿には「給食のパンを残すことはクラスで1番である」と書かれているのです。「ひょろひょろしている」とまで書かれています。

それが学校の栄養士として42年間勤めたのですから、人生、わからないものです。

私のクラスは給食のおかわりは全部食べた人からとなっていたので「あ、おいしい。これならもう少し食べたい」と思っても、パンと脱脂粉乳(年齢がしっかりバレます)のがのどを通らないために、ほとんどの日々を残すことになり、おかわりできたことはありませんでした。

私は早々に残すことを申し出たので掃除の時間まで食べることはありませんでしたが、自分が大人になり給食管理をするようになってからも、こうした光景を見ることがありました。

 

 

教育課程の中で給食の位置づけができた

私が学校の栄養士になった頃は

「明治の教育にないものは教育ではない」「だから給食は教育の範ちゅうには入らない」と言われたものです。給食指導は担任の雑用扱いでした。

更に言えば「(栄養士は教育者ではないのだから)生徒に直接話しかけないように」と管理職に初日に言われたことを思い出します。

食育が進められている今では「信じられない!」と言われますが、本当のことです。

昭和33年の学習指導要領の改訂で学校給食は初めて学校行事の領域に位置づけられ、10年過ぎた昭和43年の改訂で給食は「特別活動」の中の「学級活動」に位置づけられていましたが、管理職でさえこのような状況でした。

「食材発注だけはもれなくしっかりやればいい」というところでしょうか。

 

 

特別活動に位置づけられていた

給食当番

給食当番で多くのことを学びます

翌44年の中学校の改訂でも同様に「学級活動」に位置づけられました。

以後、この位置づけは続いています。

給食が「学級活動」に位置づけられている重要性を私が本当に理解したのは恥ずかしいのですがつい数年前のことです。

50代も半ばになって赴任した学校は新築の校舎で、新しい給食室が迎えてくれました。

「やんちゃな児童」がどのクラスにも複数人いる模様でした。

担任の病欠も相次でいる学校でした。

当初は野菜料理や豆料理は半分以上手つかずのまま帰ってくるクラスがありました。嫌いなものは無理に食べなくても何ら問題ない!という感じ。

翌年の2学期あたりから

「給食、完食しました」のメモが私の机に届くようになりました。主に6年生からでした。

市内の他校では色のついたコピー用紙で簡単に作った「完食賞」を出しているとのことで、勤務校でも作ることにしました。

「完食」の定義は「給食室から届けられたものを食べきった」が基本ですが「自分に配膳されたものを全員が食べきった(食缶やバットに盛り残しがあっても可)」のどちらでもよいが学年では統一するよう職員会で提案しました。

赴任して3年目たった頃、ベテランの先生が受け持ったあるクラスがよく食べるようになりました。

そして「完食しました」のメモが頻繁に届くようになりました。

その担任に聞いてみたところ児童の中から

「○○君はアレルギーがあってこれは食べられないから、他のものを多めに」とか

「□□さんはこれが苦手だから少しにしてあげて」などの声が児童から自然に出るようになってきたとのことでした。

そこまで友達に言われたら、苦手でも多少は食べてみようかとなります。

そして食べられた!となり克服していきます。子供の力ってすごいもので、集団の力がよい方向へ働くとすばらしい成果が表れます。

簡単な完食賞ですが、クラスの壁に貼られ、それを見た他クラスの児童も触発されていきました。

このことを市の指導主事に伝えたところ

「それは話し合い活動です。学校給食は特別活動の学級活動に位置づけられています。そのクラスは毎日給食を通して話し合い活動をしているのです」とお話されました。

「学校給食は教育の一環」であり、確かに大切な教育の場なのだと感じ入りました。

 

 

よく食べるクラスはとにかく準備が早い

配膳台

私は一言メモをつけた盛り付け図を毎日作成していましたが、その裏を使って完食の連絡が来るようになり、ワゴンに乗せられて給食室に戻ってきます。

いつの頃からか「食レポ」と書いて今日の給食の感想を寄せてくれるようになりました。

それを給食室の壁に貼り、午後の作業が終わった調理員さんに見ていただけるようにしました。

「完食しました。今日もおいしかったです」

「完食しました。スープがおいしかったです」などなど

「ちょっと落としてしまったので完食できませんでした」というメモが来ることもあります。

調理員さんもそれを見て満足したり反省したり、いい循環になっているなあと思いました。

年々完食賞を出す枚数が増えて一昨年は1000枚を超えました。

昨年はそれを上回る勢いでした。

よく食べるクラスは準備が手早いことにも気づきました。

多目的室などで学年給食をするとはっきりそのちがいがわかります。

食べ残しが多いクラスは遅いだけでなく小競り合いが始ったりすることも・・・

よく食べるクラスは下膳もすっきりときれいです。

同じ学年でも完食がほとんどないクラスでは悲しくなるほどの乱雑な下膳ぶりのときがあります。

完食するクラスが多くなって来た頃と時を同じくして先生の病欠も少なくなりました。

学級での給食活動が無関係ではないとひとり、密かに思っています。

 

 

【まとめ】たかが給食!されど給食♪

  • 給食は食べきれそうだと思う分量を自分で決める。
  • そして盛り付けられたものは残さない。

これが理想ではないでしょうか。

学校給食の運営には人件費や施設・設備費を始め多額の税金が使われています。

その額は教科書の無償貸与と大体同額と以前、伺いました。

給食時間を有意義な時間にしないともったいない。

学校給食が育ち盛りの児童生徒の心と身体の栄養になるように願っています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

☆管理栄養士 すずまり が書きました。

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管理栄養士のすずまりです。 食べものの文化的な側面など「おとなの食育」の観点から書いています。